■( 若者のクルマ離れ )
最近の若い人々は「離れ」の世代で、若者のクルマ離れ・映画館離れ・新聞離れ・恋愛離れなどが起こっているそうです。携帯電話の新機種は知っていても、クルマのニューモデルなどにはまったく関心がない。
友森工業には自動車に関心が高い社員がいます。自然吸気の高回転型エンジンが好きでM3とか、開発主査の理念に共感してNA8とか、ギリシャ人デザイナのファンだからとR2とか。そのうちの一人はNA8を通勤には使わないし雨の日や雪の日にも乗らないという男ですが、自動車に関する月刊誌で新型車の開発情報やスクープや販売動向などを熱心に追っています。その何が面白いのかと訊ねると、こんな風に答えました。
 

■( なぜクルマに興味があるか? 恐竜が好きだからさ )
『僕は自然科学ファンで、フェルマーの定理が解かれたニュースとか、素数ゼミの話題とか、宇宙論のダークマターとか、サイモンシンの「暗号解読」とか、バージェス頁岩の「ワンダフルライフ」とか、生物の進化に関する「眼の誕生」とか、恐竜の繁栄と絶滅とか、そういう物語が大好きなんだ。SF映画などでは科学者が合理主義で冷たい人物として描かれたりするけど、おかしな話だと思うよ。科学者って 「これは何故なのだろう?どうしてこうなるのだろう?」 という子供のような好奇心に突き動かされている人々だから。( 子供のエジソンは "なぜなに坊や" と呼ばれたそうだよ )


■枝分かれしていく進化樹の図は見たことがあるかな。恐竜は陸や海や空でバラエティに富んださまざまなタイプに分岐して繁栄したり絶滅したりした。   分岐した枝は太くなるもの、途中で絶滅して途切れるもの、細く長く伸びるもの、などいろいろだ。結局は環境が激変して恐竜の樹はほぼ枯死絶滅し、   現代は鳥類がその直系の子孫なのだけど、その栄枯盛衰を示す図鑑を眺めていると時間を忘れるくらい面白いなあ、と思うんだ 』

 
■( 脱線・蛇足だけど )
『 ちなみに僕が子供の頃の恐竜図鑑はT-rexはゴジラのように姿勢良く立って尻尾を引きずって歩いている絵であったけれど、足跡化石に尻尾の跡が無いことやコンピュータ解析の進歩から、現代は脚を支えに上半身と太い尻尾がシーソーのように水平に伸びてバランスした、そういう歩行姿勢で描かれているよ。ジュラシックパークの恐竜もそんな歩き方だったね。僕はジュラシックパーク1を映画館ではじめて見たとき、「白亜紀の恐竜はどんな風に闊歩していたのだろう」と長年夢想してきた風景がCGによってあたかも現実のように見せてもらえた喜びから、感動の余り涙が出てきたよ。映画館で、恐竜の歩く姿を見ながら、しきりに鼻をすすり上げて涙をゴシゴシふく男。周りの観客はチラチラ振り返ったりしてたけど、主演のグラント博士の表情も明らかに「感動」を表現していたし、恐竜ファンなら分かるはずさ。後年、科学雑誌Newtonの編集長だった竹内均さんが、亡くなる前のインタビューで「ジュラシックパークを見たときに涙が出てきた」と述べておられるのを読んだときには、「同じく!」 と膝を叩いたものだ。 あれは、泣ける映画だった・・・そういえば原作者のマイケルクライトン氏も亡くなったな・・ 』  
 
( スポーツは代替戦争、クルマは代替の進化観察 )
『 生物の進化ってとても面白い。学生の頃、獲得形質は遺伝しないと習った僕たちだけど、福岡伸一さんの動的平衡」や『眼の進化』などを読むと、進化の原動力が方向性の無い偶然の事故的な突然変異だけ、とはいえないのかも知れないな、と最近の学説に興味津々になる。ま、でもそれらは「膨大な過去の話」だ。生物は現在も変わりつつあるけど、変化が余りにゆっくりだから今の生物が進化している様子を観察しようとして眺めていてもあまり面白くない。
■さて スポーツは、平和な時にヒトの闘争欲求を満足させるために生まれた、ルールのある代替戦争だと聞いたことがある。僕がクルマの新型車開発やスクープのニュースを好きなのは、恐竜が何万年をかけた進化樹と同種のダイナミックな物語が、そこにあるからなんだ。20年ほど前にはパジェロなど四駆が大流行した時代があった。レガシイなどステーションワゴンが馬鹿売れした時代がきて、ファミリーカーやワンボックス車しか売れない時代がきた。SmartやIQのような超ミニCarが現れたが "枯れる枝" っぽい。
いまは環境が後押ししてエコカーの時代だ。世界を眺めるとエコカーブームの一方で、500馬力超の高価な新型車も続々と発売されている。恐竜が哺乳類に駆逐されたのと同様に、いつかは電気モーターにその座を奪われるだろうガ

ソリンエンジンの「終わりの始まり」が見て取れる。僕にとってクルマの話題は「 変化にかかる時間を早送りに圧縮した、生物進化と絶滅の壮大な物語の、代替シミュレーション 」なんだよね。 しかも、だ。  生物進化についてナショナリズムは刺激されないけど、クルマには生産国があるから、スポーツのように「国別代替戦争」の感覚がさらにプラスされている。興味深くないはずが無いじゃないか。だから僕はクルマに関する月刊誌をせっせと買い込むのさ。 恐竜を飼っていなくても恐竜について知りたいように、たとえクルマに乗っておらず電車生活をしていたとしても、クルマの情報は集めるだろうな、僕は 』 

( 君たちに明日はない3 )
『 まあ僕がNA8を大事にしているのは垣根涼介さんの書籍 「君たちに明日はない3」 に出てくる為替ディーラーと同じ、ロクデナシだからだけどね 』

( 電気自動車は宇宙空間を進むぶん、不利なのだ )
電気自動車は根本的にガソリン車よりも 「 不利 」 だと思っています。
宇宙へ旅するロケットは巨大な燃料タンクを2基3基と積んでいます。燃える燃料と、それに結びつく(燃焼とはそのことです)酸素とを、両方とも自分に積んで運ばなくてはならないから。
ガソリン車はガソリンタンクを備えているけど、液体酸素のボンベを積んで走ってはいません。「 酸素は大気からもらう 」ことにしているからです。 独立して走行する乗り物として、一種のズルをしているようなもの。
電気自動車は大気とやり取りをしていません。前進するための電力エネルギーは「 バッテリーに全て保管 」して持ち歩いています。それは巨大な燃料+酸素タンクを積んだスペースシャトルと同じなのです。
エネルギーを使ってある質量を前進させることに関して、魔法はありません。電気自動車はこれからもずっと、その点ではガソリン車より不利なはずです。( 車体を加速させて得た運動エネルギーを、貸した金みたいに後の減速時にバッテリーへまた返してもらう回生ブレーキという技のある点は有利ですが )
 

( 選挙行かなくても、買うことが意思表明 )

ここ数年のマツダ社のCX−5やアテンザのディーゼルエンジンMTモデルの売れ行きを見ていて嬉しくなっています。
自転車の空気入れで一気に空気を入れるとポンプ部が高温になってきます。熱を加えなくとも圧縮することによって発熱する(断熱圧縮)ので。 点火プラグの無いディーゼルエンジンは高い圧縮比によって高温自然着火させるために圧縮比18前後の頑丈で重いエンジンとなっていました。
頑丈で重い動作部品は往復運動するにも回転運動をするにも軽快には動かないので、ディーゼルエンジンは上で鈍重退屈な回転特性となり、色々と我慢し割り切って選ぶモノとなってきました。そういうものだと世界中のメーカーが納得し諦めてきたのです。

そこへマツダは圧縮比が極めて低い14という、それでいて上手く着火して燃焼するディーゼルエンジンを開発しCX−5に搭載しました。これはプロジェクトX的な凄い話。ただし凄いけれど、圧縮比がどうしたとかそんなマニアックな話は分かりにくい。
色々と本業や暮らしで忙しくクルマにマニアックな興味が無い一般消費者にその価値は伝わらないだろうな、と思っていました。
ところがそれがガンガン売れているそうです。地方都市広島に本社がありブランドイメージが高いとは言えず、下取りが安いなどむしろマイナスイメージがある。それでも良いものを造れば消費者はわかって下さるのだ、高級輸入車からだって乗り換えるのだ、ということがヒトゴトながら嬉しい。消費者は、実は、賢い。
国家予算80兆に対して国民経済の総体GDPは520兆円もある。一部徴収分が全体より大きいわけが無いので、当たり前といえば当たり前です。でも田舎に住んでいると80兆の遣い方が特に地方にとっては死命を決しかねないので、いつしかそれが世界の全てに匹敵するほど巨大である気がしてきます。でも実際は価値を生んで代価を得る、人々や企業が行う経済の本体が主役。国はそこから分け前をピンハネていろいろとやっている、まあ "一部分" です。 国家や政治や選挙が大切だという話の主旨はよく分かりますが、実は市民は『 何を買うか 』によって( 選挙など行かなくとも ) 経済の側面から投票しているようなものだ、という気がします。しかも選挙の投票は無料でできますが、CX−5を評価して買う、ということは身銭を切ってはじめてできること。とても冗談半分ではない、立派な意思表明です。
「世界中の誰もが無理だと思っていた困難な壁に挑戦して新しい価値を生み出したメーカーの頑張りや技術的ブレークスルー」 など一般の消費者には分かるまい、と見くびっていた自分ですが、嬉しく間違っていました。

 

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