( 行政予算には公平性の制約が )
 まちづくりに詳しい方とお話しする機会がありました。
行政が "中心商店街の活性化に予算を投下して事態の改善を図ろう" と考えた際、「 ある特定商店は支援するけれども、他の商店は支援しない 」 というような不公平は望ましくないそうです。       税金で行う公共の施策には、色々な制限があるためで、官庁が行う公共の商店街活性化施策では 公共空間である歩道舗装を美装化する だとか、   公共空間である歩道の照明灯をレトロなデザインのものに変更する 」 だとか、もしくは 不特定多数向けのイベント/コンテストなどお祭り系事業  「 パンフレットや○○マップの企画印刷配布事業  「 中央の
都市計画専門家を呼んで商店街活性化を考えるシンポジウム開催する事業 のように、全体に広く恩恵がもたらされるよう、一部特定の商店だけが恩恵を受けることが無いように、施策が計画されるそうです。
 当社の企画推進している "商店取っ手飾り金具普及プロジェクト" は 『 個人資産である商店建物 』 に装飾金具を取り付けるものです。 なおかつ 「 引き戸の

商店の戸は飾って支援するけれども、引き戸でない商店のドアは対象外 」 という、かなりエコひいき色の濃いプロジェクト。
 よって、行政が税金で行ういわゆる「 まちづくり施策 」 としては行いにくい種類の活動ではないか、というお話を伺いました。
 

 まちづくり事業もまた市町村間で競争が激しい分野。 ほかと同じでは選ばれる理由がないので、生き残るには独自性の深化が重要なのだとされつつも、北京五輪のマスコットキャラクター並みに 活性化アイデアの模倣追従が盛んな分野なのだそうです。 地方衰退の現状は厳しく、どの自治体も生き残りに必死。 ある自治体が 「目新しいアイデアの施策」 で話題をさらうと、すぐに同様の施策を導入する他市町村が続々と現れ、目新しい独自性であったモノゴトが急速に、ありふれてどこにでも見られる、よくある話 として陳腐化するのだとか( 行政は、血税の投下が後の会計検査で問題とならないようにむしろ 「前例があること」 に安心しがちであることも影響しているのかも )。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480065628/hatena-hamazou-22/
[ 参考サイトアマゾンの書評を見ると、「 実効性のない活性化施策 ≒ 箱物ハード行政 」という論調のようですが、実際にはイベントやコンテストなど箱を建てない「 ソフトな活動 」にも税金を浪費するような効果の薄い施策が多いそうです。閑散とした箱物は人々に失敗がよく見えていつまでも証拠として残るので批判を浴びる厳しさがある一方、ソフトな施策は実際にはくだらない内容であっても関心のない大多数の人々の目に留まらないので( 会場にはそれが好きな同類の人々ばかり集まる。50人集まっても市民の0.00025% 。社会調査という学問の基礎からすると15万人の市民の意識を把握するには年齢職業や好みの偏らないように無作為な1300人ほどの意見を集める必要があります。選挙速報ではありませんが、1300人に聞けば15万人全員に聞かなくともおおまかなニーズの方向性は分かります。しかし特定の嗜好の50人の意見は "市民の願い" ではありません )、厳しい批判やチェックに耐えて質の高いものだけが生き残るというサイクルが起こらず( 動員をかけて満員となった会場写真さえ撮っておけば "成功した" と言い張って来年も予算が取れる )、むしろハードな箱モノよりも問題が大きいそうです ]  
全国のまちづくり市民団体の活動に15年前からずっと、県外講師を呼んだ「シンポジウム」や「マップ制作」が多いのは、活性化に「効果が高い」からなのでしょうか?
商店街活性化シンポジウムが開催されると「 街のキラリと光る資源を活かそう 」「 貸し出しを渋る空き店舗所有者の意識を変えてもらうことが必要だ 」などという総括がまとめられます。次のステップは、貸し出したくなる誘導制度を創出して、所有者のもとへ靴底を減らして通っては説得する営業活動ではないか、そして3年で空き店舗を5軒減らすなどというノルマ目標の設定ではないかと思われます。けれども実際は、3月末のシンポジウムで上記の総括がまとめられると事業が終了するので、フェードアウトします。そして3年か4年後に、また違う市民団体が主催して似たような内容のデジャブ的 「 活性化シンポジウム 」が開催され、似たような総括がまとめられます。

・( 撒いて出現する賑わい )
中心商店街に活力を。平日の人通りを2倍にする、各店の売り上げを平均25%増加させる、空き店舗を2/3に減らす。 そういう街の基礎体力・実力を高めることは難しいことです。 そこである1日や2日の限定された日に人々を集めるイベントが開催されることが多くなります。ある日のある時間に人を集めることは、ある意味では容易です。
例えば 「 時間帯は未定ですが会場で1万円札を撒きます 」と宣伝すれば確実ににぎわいます。現金では生々し過ぎるとなれば、 「 楽しみのためのレクリエーション」 を無料や格安で提供するなどという手法もあります。
"現金" と "受け手" の間に "商品やサービス" を挟んだだけで、基本的な構造は現金を撒いて人を集めることと同じです。そのようにある日に 「捨て値で撒く」 ための元手は自治体の予算から拠出されることが多いようです。地域に真の体力がつかない、毎年使い捨てのドーピング剤。
理想的には 「今回はまず血税の支援によってスタートを切らせてもらったが、お客様がこうした催しを求めているというニーズの存在が明らかになったので、相応の代価を支払ってでも満足していただけるサービス内容に昇華して、今回の反響と知名度を持って来年からは我々が自立して運営開催していきます 」 ということになると、初期投資が実を結んで「 街の基礎体力が上がった 」 といえます。 つまり 「 代金を支払ってでもソレが欲しい(モノ・サービス) 」 という物事を創出できたときには 「活性化した」 と言っても良い、と考える尺度です。

 さて。本来は「 ただ1つの先進事例と その他多くの後追い事例 」 であるのに、「 全国で5例目の先進事例 」 「中国地方では初の進歩的導入事例となる」 などと発表されることに、違和感を感じることは確かにあります。      そのような模倣主義において必要となるのは、いつ芽吹くか( 実行後に評価がどうなるか ) が誰にも分かからないので頼るには不安定なポッと出のアイデアや『 創造力 』ではなくて、毎年毎年コンスタントに継続して [ 前例/事例リサーチを地元での補助事業化に持ち込む 『 手続きへの熟練 』 慣れ・コネクション( 全市民目線からの厳密なB/C評価や仕分けを避けて、市民の0.0002%程度の小さなグループの価値観や理屈によって、どんなに社会状況や求められる専門性が変化しても、一度得た予算や既得権を守るチカラであり、しばしば "縁" と呼ばれる ) ]   であるのだ、とその方はおっしゃいました。 注)7

●例えばこの10年以上にわたって、松江市や米子市や出雲市で市民アンケートが行われると、市民の要望が多い上位には就業機会増・福祉・医療・介護・就職場・子育てなどの分野が上がり、一方で「 中心市街地活性化事業の強化 」 を望む声はずっと下位となっています。 生活実感として医師不足や介護や待機児童や失業手当給付急増などが地域の切実な問題だという 「普通の感覚」 が反映されています。
●にもかかわらず市民活動NPO団体の分野構成を見ると、「福祉系団体」に並んで、「まちづくり系団体」が極めて多くなっています。 これはおそらく、まちづくり分野の予算が土木建設を監督する国土交通省から出るので極めて豊富だ、ということに由来しています。 ニーズが多いからではなく ( 社会構造や市民ニーズの変化と関わりなく )  活動資金が潤沢に投下されるから 「まちづくり系団体」 が多くなっている。 最近では子育て支援がバラマキだと批判されますが、土木建設都市計画分野にバラまかれている予算はケタが違います。 新しく子育て分野に、土建分野に較べればかわいい額のバラ撒きを ちょっと振り向けたとたんに何故 急にあれほどの大騒ぎになるのか、首をかしげたくなる場合があります。
●また別の例では、出雲市において、一般市民などからなる委員会を作って市の事業の仕分けを行う「ゼロベース評価委員会」を開催したところ、不要または廃止判定を受けたもののなかに 「地域イベント支援交付金事業 」 「 商店街活性化イベント開催補助 」 「 出雲神話まつり負担金事業 」 が上げられたそうです( 参考→ )。 参加市民がそのように判定した理由は、「どう活性化したのか成果が見えない」「 必要だから有効だからではなくて、助成金が出るからやっている という側面があるのではないか 」「 合併前からの前例踏襲で、必要性によってではなく、予算枠が維持されているのではないか 」 という指摘であったようです。
 これに対して出雲市の担当者の回答は「 硬直化しているとは思うが見直しが難しい 」 というもので、結果として判定は 「 廃止 」 となり、判定員の一人は「まさにばらまきだ」と言い切ったそうです。  しかしこの提言・判定には拘束力がないことや、縦割りの国の予算が急に変わるわけでもないので、実際にこうした 「 まちづくり活性化予算は、今後医療福祉子育て分野へ振り向けたい 」 という急速な変化が起こるとも思えませんが。


 
 ところで一般に地方都市のまちづくりは公益のため公平に遣われるべき 「行政の財源」 で行われることが主。

我々の取っ手飾りプロジェクトの 「 選り好みした特定商店のみの個人資産の装飾を支援 」という公共性が参入障壁となり、( 税金に頼らずに自腹を切るまちづくり系市民活動が実は皆無である以上、行政が予算を出せない活動であるために ) この金具プロジェクトは意外と 『 山陰松江ならでは 』 の個性としてずっと先行できるかもしれない、と専門家は言うのです。
 大きな権限や予算を持つ官庁はビッグプロジェクトを含めて 「 何でもできる 」 イメージがありましたが、行政の施策に詳しいその方のお話を伺っていると、どう
 

やら貴重な血税を投入し得るメニューには色々な制限があって、決して何でもできるわけではないと分かってきまし
た。 また、私たちが本業で稼いだ資金を用いて税金投入を請わずに 「 取っ手飾り金具普及 」 というまちおこし活動を行っている以上、それとの比較として、市民団体やNPOが税金による予算を頼んで行っている活動が新聞テレビでニュースとなる際には、「 この活動は市役所の予算230万円を受けて行われました 」 等、 一般市民が     「 たったそれだけの税金投入でそんな素晴らしい活動ができるのであれば安いものだな 」 「 幼稚な理屈にもとづく子供の遊びみたいな気晴らし的活動に、そんなに税金を投じているのか 」 などと判断するための材料を表示することが、マスコミが果たして当然の 「 透明性 」であるとも、その専門家はおっしゃいました。 真の発注者は役場ではなくて市民なのだからと。

( 本 来 は )
 当社では ごく分かりやすい "地域貢献活動" として、取っ手飾り金具普及プロジェクトを行っています。当社のメリットとしては『 そんな気の利いたコトを発案する企業は、本業でも気が利いているのではないか 』 という具合の、根差す地元地域での知名度向上と企業イメージの向上( いわゆるCSR( 本業でしっかり稼いで、企業として社会貢献する ) 活動、またはCI・コーポレイトアイデンティティ活動 等
) 、毛色の変わった企業イメージ発信費の側面があります。 何の商品も売り込まない 『 ヤンマーってそうなんだ 』 や 『 だけじゃない帝人 』 などがキャッチコピーの テレビコマーシャルと、 同種の活動です。

一方で 「 地域おこし 」 という、定義があいまいで本業とかけ離れている、何か特殊な活動を行うまでもなく、実は、地域外( 県外・国外 ) に販売されて "外貨" を獲得する製品( の部品 ) を開発し納品すること、そうした「域外由来マネーの本業における稼ぎ」 によって社員の雇用を確保すること、それこそが最大の地域貢献だと理解しています。我々のような "まちづくり素人" の思いつきアイデアで地元行政の貴重なお金を消費するのではなく、 県外自由市場からマネーを流入させて地域内を回るお金(景気のタネ)を増やす "地域貢献" がものづくり会社としては最重要。モノづくり企業が社会貢献するには、実は本業を頑張

ばいい。  だからこそ、本業でなく、ほんとうは鼻息荒く自慢するほど地元活性化という目的の核心でもない( 多くの "まちづくり事業" はその程度のものです ) この  「 取っ手金具ミニ・プロジェクト 」 は、日頃決して私たちメタルカラーの頭を離れない 費用対効果のノルマ・仕訳け を離れ、余裕を持って楽しく行えるのです。
ところで当社では2013年夏の観光シーズンにJR米子駅改札前の有料大型ポスターケースを借り受けて当社で制作した米子城復元CGポスターを掲示しました。観光で利益を上げていない異分野の民間企業が"心意気"で行う観光おもてなし向上貢献活動です。
また当社で製作した高さ1.2mの古代出雲大社復元模型はJR松江駅展示スペースに飾られていましたが好評のため神在月に合わせて2013年9月9日からJR出雲市駅構内に展示されることになりました。加えて2013年夏に改装された米子市立図書館さまが募集された雑誌カバー貼り広告スポンサーに応募して当社が第1号スポンサーに決定しました。スポンサー雑誌名はサライです。

( Google 検索で上位にヒット )
 Google で 『 松江市 商店街活性化 』 『 米子市 商店街活性化 』 または 『 松江市 まちなみ景観 』 を2語検索すると、当社の 「 取っ手飾り金具プロジェクト 」 のページが、数万件ある同キーワード関連サイトの、その上位でヒットするようになりました。
また他には、 『 産業機械 修理 』  『 広島( or鳥取or島根 )  石膏ボード処分 』  『 スポーツ自転車 鉄フレーム 』   『 スポーツ自転車 ステンレス 』    『 シングルスピード ギア比 』     『 境港 まち歩き 』  『 GT-R 海外 』 などの2語検索でも当社のサイトが上位にヒットします。 ちなみに、まち歩き情報ページの白い船の写真の、その青空には。

( 外貨を稼がずとも域内還流を増やすべしという正論 )
・( なるべく地域外から仕入れずに地元で作られたモノを )
しばらく前の地元紙( 山陰中央新報 )に、『 地域経済の活性化には、グローバル化で競争が厳しいなか外貨が獲得できるような新製品や新産業を興すことは難しい。また外貨を獲得してもそのお金が地域をぐるぐる回らないで県外海外に飛んでいくと「 お金に出くわす機会 」が減るので地域経済は活性化しない。だから外貨獲得よりも地域内でお金を回すことが大切だ 』という主旨の寄稿が載っていました。支払われた代金の2割が地元に残る商品よりも、4割が地元に残る製品を選んで買いましょう、という主張です。 総じて理念には賛成ですが、「 具体的に何ができるのか 」 を考えると、その道も厳しいと思えました。得たお金を地域内で還流させて経済を活発化するということは、具体的には
 @お金を手にしたなら、どんどん買い物をして消費しましょう。
 Aそれも県外海外から製品( やその材料 ) を仕入れているモノではなくて地場生産成分が多いモノを買いましょう。
ということです。

・( 具体的にできること・現在の暮らしから変え得ることは )
流通がグローバル化していることからは地方の商店も逃れていないので、地域内の店に並んでいる商品を買って市民が支払った代金の大きな割合は、製品の製造メーカーのある県外工業地域に飛んでいきます。
個人の場合、食品・衣類・家電製品・自動車・交通費・通信費・光熱水道費などが、暮らしの中での大きな買い物費用でしょうか。ちょっと考えても、材料や仕入れ元から全てが地場産の製品を選んで買うことは簡単ではなさそうです。
毎日の暮らしの中での買い物となると特に、消費の大半を、地元にお金が残る商品に変えるだなんてかなり難しい。
地元で生産している衣料品、食品(低自給率)、家電に自動車。そういう製品が山陰地方では限られていることを考えると、地域内にお金を留めて還流させる意識を個人( や地元企業 ) が持ったとしても、状況を劇的に変えることは難しいと思われます。例えば 当社のように機械装置製作会社で必要とする鉄板やH鋼、モーターや各種動作装置や金具などの材料は鳥取島根県産ではありません。それを地元調達に変えることは難しいことです。 建前のポーズではなくて「実効性のある対応をすること」は、新製品で新たに外貨を稼ぐことと同じくらい、難しいこと。 新製品開発がグローバルな競争にさらされているのと同様に、消費もグローバル化に飲み込まれているからです。「 無理なくできることから取り組もう 」 と求められたならば当面は、ネット通販などをしない、中国生産の100均で買い物をしない、本社が県外にある( 法人住民税が他府県納税 )ユニクロや牛丼チェーンやマックやケンタには入らない、県外へ旅行に行ってそこでお金を落としたりしない、自動車であれば本社が最も山陰に近い広島にあるマツダ車を買って隣県山陰への還流の可能性を高める、米は山陰産米を 酒は地酒を買う、などでしょうか。・・・それは県外資本にとって投資対象としての山陰市場の魅力が薄れるということで、店舗建設や地元調達など付随する経済が低下することになって、実は消費にとってマイナスかもしれませんが。
また消費者人口が同数でも 「 子育て世代の夫婦の世帯 」 と 「 高齢者世帯 」 では、消費金額が全く違ってきます。買い物の場所について、商店街の店主たちが高齢化していてしばしば後継者がいないことを考えると、また県外資本スーパーマーケットには子育て世代のパート従業員が多いことを考えると、お金を地域内に回すには県外資本スーパーで買い物をする方が良いのかもしれません( 法人税が本社のある都道府県で納められるなら聊か業腹ですが)。  しかしそれはもう行われていることです。
■当社では生産設備を納品したある飲料メーカーの飲料を 販売する機械に、社内の自販機を替えました。
そのメーカーの工場では駐車場に来た外注会社の車内を 覗いて、他社の缶コーヒーなどがあると、厳しく叱責され
ます。某自動車工場関連下請け工場の社員駐車場では 別メーカーの車の駐車枠は社屋から最も遠い不便な場所
に設定されているそうです。ものづくり業界では普通の 話。公務員の皆さまには、特に家電や自動車など金額や裾野が大きくて経済インパクトが大きい製品を購入する 際には、ぜひ日本製品を購入していただきたいと思います。


・( 具体的行動指針まで提示してほしい )
マネーの地域内の還流を増やす理念を「考える・語り合う」のではなくて、「実際に増やす」ことを目標としたときには 「 具体的な行動指針 」も併せて示さないと、流通が余りに複雑なのでどうしていいか分からなくなります。
県外資本のイオン(サティ)が進出する前には商店組合などから反対運動が起こりました。 しかし松江でサティが開店すると市の消費者物価は下がりました。全国規模で大量仕入れを行うイオングループとの競争に市内の市場がさらされたからです。それ自体は市民・消費者にとって悪いことであったか分かりません。パート従業員など雇用の創出も、全体として眺めたときの市内の消費増にはプラスかもしれません。市内の平均所得が下がっている状況では、物価が下がることは消費増に対して善であるとも言えます。 しかしその価格低下が従業員のボーナスカット等によって実現しているならば消費減退を招くのでお金の還流にはマイナスであるのかも。状況は複雑。 さて。地域から出て行くお金を減らして、地域内に留まって回るお金を増やすのだ と決心したとき、日々の暮らしやビジネスで、わたしたちは何をすればよいのでしょう。
少し考えると、"行動指針" を作ることはすなわち「あちらを立てればこちらが立たない」 トレードオフの問題になりそうだと分かります。立たなくなる立場の人々からは苦情だって寄せられることでしょう。 県外に出かけてその旅先でお金を使うのは望ましくない。お金は地元で使いましょう となどと具体的に言えば、地元にあって営業所長・課長・窓口販売員など7人を雇用して経済に貢献しているような旅行代理店から、苦情が来るかもしれません。
また 県民の25%が、牛乳を購入する場合に大メーカー品ではなくて、多少高価でも地元生産牛乳に切り替えると、県内に留まるマネーが、1億2千万円から2億4千万円へと増加します などと数値目標まで分かると、一層の励みになるでしょう( 牛の飼料は県外産であったりしますが )。それは簡単ではありませんが、しかしその難しいことまで提言しないと、「 県内に留まるお金を増やせばいいのに・・」 というナイーブな理念は結果につながらず、結局は「画餅」と呼ばれます。還流マネー100が、税金を投入した取り組みによって101%に増える可能性がある、などという渋い予測であれば、規制だとかもっと効果の上がる別の施策に知恵を絞ったほうが良いかもしれません。         地域内に還流するマネーを現実に増そうとすれば、「 安くて品質の良いものを便利な店で買う 」 という自由な市場をある程度あきらめて、県民・地元企業の望ましい行動は地元製品を買うことだと「責務」に訴えて多少の不自由や価格の高さは我慢してもらうことを受け入れてもらうか、何らかの県外品規制や地場産販売比義務値設定(税制優遇)など地域保護主義的な制度で誘導することでしょうか。

それに較べれば、「 県外に商品を売って、地域外からお金を取ってくる 」 ことの効果はシンプルにして確実です。  県内還流を増やすには広い 「産業構造」 を改革する必要があるのに大して、新市場開拓は 「 ひとつの商品 」 やサービスのことだけ練り上げればよいからです。

 

注)7 2012年2月の山陰中央新報に、中小企業基盤機構の予算措置をうけて、体力の落ちた地元企業を再生させる「山陰再生ファンド」を7年間にわたって運営なさり、12社を "患者として" 手当てして、うち10社を再生させた代表者の方の寄稿文が掲載されていました。この方はプロフェッショナルであると思いますが 「 企業再生を考えるシンポジウム 」 の企画運営等に予算も時間も割かなかったことは確実です。 商店街活性化ではこれまで、建築士や都市計画家や土木畑の専門家が投入されることが多かったように思います。けれども 「 商店街は商いの場であるからこそ賑うのだ 」 という認識に立ち返ると。貸借対照表が読めずリスクと責任を負ってマーケティングや新製品開発に取り組んだ経験も無い注8) 都市計画家やイベント企画屋ではなく、今後は商店街活性化予算の半分でも、銀行家や税理士や中小企業診断士やマーチャンダイザーなど、商いの専門家に振り向けたなら、過去15年間と違った展開があるかもしれません。まちづくり系市民団体の内部から 「 われわれは過去15年間十分に公的予算も機会も頂いてきた。しかし現代は我々のもつ職能とは別の専門性が実効力を発揮できる活動がありそうだ。我々にとって市民活動は本業ではないし、よって血税由来の予算確保に執着しない。既得権に硬直化しないのが ゆるい市民活動の良さだ。商店街活性化予算の半分は、しばらくそちらに回してみてはどうか 」 などと提案することはありません。公的資金にぶらさがる組織はいつか官僚化し 「 今年は良い活動アイデアがないので税金の補助は求めず、来年度に良いアイデアが浮かんだら再び申請しよう 」という風な柔軟性や、ダイナミックな活動内容のスクラップ&ビルドの新陳代謝は失われ、存続するために存続することになっていきます。

注8)都市計画家や まちづくり活動家の多くは、まちづくりの基本計画や設計の「公共事業」を受注して仕事にしています。 公的な仕事は、最初に「入札」があり、落札してはじめて計画作業や設計作業の「労働」を行う流れです。
役所は倒産しない( ギリシャを見ていると絶対、ではなさそうですが ) ので、貸し倒れリスクもない。
民間のコンサルタント企業であっても、公共の仕事を行う限り、落札( 労働が売れて対価が払ってもらえると 確定 ) してからはじめて働きはじめることは安心感が高く、賭けや勝負の感覚は薄く、つまりリスクは最小です。
一方で私たちのような製造業や飲食店のような民間企業では事情が異なります。
ある製品を発売するまでには、調査して計画して設計し、材料を買ってきて製作機械に電力を供給しながら試作品を造り、売れると判断したら量産設備を整え、 大量に材料を買い付けて、全国の店舗に出回るように初期ロットを生産し、広告宣伝費も支払って、ようやくXデーの発売日を迎えたとき、 実際に売れるかどうか、ヒットするかどうかはまだ誰にも分かりません。開発に延々2年かけて、結局売れ行きが芳しくないとなったら、 誰のせいにもできません。 自分たちの月給やボーナスで責任をとります。毎回、責任を取る覚悟で腹をくくった勝負や賭けに出るのが我々の業界です。
もうひとつ私たちの仕事の特徴は比較的正否がはっきりしているということです。『 リサイクル鋳造砂の温度を80度から55℃まで下げる装置を設計製作してくれ 』 と依頼されて契約したら、その性能を出すしかないのです

『 楽しくなければモノづくりじゃありません。ご依頼の温度まで下げることは出来ませんでしたが、この装置は皆で楽しみながら創ったのです。そしてそのことこそが大切なのです 』 『 72℃までしか下げられませんが、この装置の試作開発過程では開発仲間の絆が深まりました。それは次に繋がる大きな成果です 』 だとか、そのような訴えに意味はありません。そんな風に正否の評価が厳格であることは 「辛いこと」 「味気ないこと」 ではなく、それだからこそ「 数字に表れて明確に成果を達成 」できると満足感が高い、という最低基準的なもの。リスクが無いなら挑戦してみます、と血税を費やして、結局成果が数字に出ていないのに 「とても楽しい」 という感覚は理解しにくいものです。
銀行合併時にクラッシュしないシステムプログラムづくりの仕事、新幹線など高速で長距離を移動しても切れない携帯電話システム構築の仕事、などなど多くの業界でも、おそらく事情は同じでしょう。頑張ったかどうかとか、作り手が楽しみながらこなしたかどうか、などの背景をお客さまは重視していません。そのような視点から眺めると、まちづくり・地域活性化業界というのは、特殊な業界であるというふうに見えます。( 過去15年のあいだ、かなりの人員時間と公的予算--4兆円以上 -- が投じられてきた業界です )。
行政と民間企業、と2分類されますが、行政の周りに群がって公共の仕事をもらっている民間企業A型と、行政と付き合いがなく自由市場で勝負している 民間企業B型では、家畜と野生の肉食動物くらいに、文化が異なっています。けれど行政マンが普段付き合いのある「 民間会社 」とは、ほぼ前者に限られているのではないかと想像します。

●さてほとんど全てのまちづくり系の市民活動は「 良いこと 」 です。
湖岸にアシを植えるのも、町並み写真コンテストを開催するのも、チャリティコンサートを開催するのも、やった方が良いか?と聞かれれば、やったほうが良いことです。
ただしそれらを実行している活動的な人々は恐らく市民15万人のうち70人ほどの 「常連プロ市民」 的な方々です。
選挙速報は投票用紙全部を開封するまでもなく一定のサンプルが集計できると「 これだけ集計すれば 全部数えた結果と同じ 」として選挙速報を出します。必要なサンプル数は、全体の何%などという単純なものではなくて調べたい母集団の数から数式で算出します。例えば15万人の市民の意見やニーズを知りたいときに声を集めるべきサンプル数は( 特定の職業 住所 年齢 性別 趣味嗜好 に偏らない無作為抽出で ) 約1200です。70人の声は市民の声にはなりません。
行政などにむけて声を上げることに不慣れな高齢者のニーズの量が人口構成を反映して実際には莫大であっても、プレゼンに不慣れで行政には届かない、ということがあり得ます。

●活動者の得意分野とニーズのズレは時々目に付きます。震災後の被災地域住民のニーズ調査では、生活費のこと、家など財産のこと、住宅ローン返済のこと、放射線のこと、生活基盤となる職業や収入のこと、などに関する不安が上位となっていました。
調査方法が適正であるならば( 無作為抽出、十分な有効回答数、歴史のある学問である社会調査として正しい設問 )、その結果に素直に応えていくのが良いと思われます。つまり支援者は自分の都合で「 自分にできることからやる 」のではなくて「 相手にとって効果があることをやる 」という姿勢です。
コンサートを開いて気分転換をしてもらうというのは「 やったほうが良いこと 」です。けれども素直にニーズに応えていないと感じるのです。現場で何が求めれているかにあまり関心が無いのでは?とは言い過ぎでしょうか。たまたま自分が身に着けてきた職能が、求められているニーズとずれているなら、いまその職能を持っている誰かに、決して無限ではない予算配分を、譲ればいいのです。

●家庭において「やったほうが良いもの」はたくさんあります。大型テレビ購入、家族団らんのための暖炉を据え付けるリフォーム、ちょっとした整備もできるガレージの増築、環境学習の森林ツアーに行ったほうが良いし、見聞を広めるため家族で年に数回海外旅行にも行ったほうがよい。
それらの全部を手に入れたいけれども、優先順位をつけて重要度の高い、いくつかだけを実行します。ボーナスがカットされ残業代も減っている状況では、家族で森林環境学習に行くことの優先順位はずっと下がるかもしれません。
●市民活動者は、それぞれ自分の関心が高い分野に意識が集中しています。湖岸に葦を植える活動者はそれが必要で重要でやるべきことだと信じておられます。恐らく、「15万市民もそれに予算を使うことを当然だと言うはずだ」と信じておられるでしょう。本来は、情報公開とチェックが必要だと思われます。つまり費用と効果を、外見上お金を出している行政ではなく、市民に評価してもらうのです。けれども活動費の大半が行政からの税金由来助成金であるまちづくり系市民活動NPOのウエブサイトなどで、収支を公開している団体は皆無です。

●ギリシヤではないですが、日本でも行政は財政難で借金に頼っています( 参考 )。 地方の自治体では、郊外に拡散した市域全部のゴミ収集や水道・下水道の整備や道路の維持管理が今後は財政難から難しくなるというので、「 今後市民の皆さんには中心部に住んでもらいたい 」 という「 コンパクトシティ構想 」が全国で議論されています。また行政が行う公共サービスも財政難から今後その一部は市民のみなさんご自身で分担していただきたいという「 新しい公共 」の考え方も行政周辺から発信されています。行政はそのくらいお金がなくなっている。
●もともと10あった行政の財源が8割に減るとき、公共サービスの質・量も8割に低下する、のではありません。公債費や人件費その他の固定費で財源の約半分は消えてしまうので、実際に公共サービスのために使われてきた真水のお金は10ではなく5であったのです。人件費をはじめとする固定費は削減に取り組んでも100が99.75に減った、などというわずかな割合である場合が多いので( 金額だと○億円の削減、などと大きな前進っぽいですが%だと小さい )、固定費「5」はほぼそのまま。すると真水のお金は、5から3へと以前の6割に減るのです。8割ではなく。
●そこで、市民団体NPOに公共サービスを( 最低賃金以下のボランティアを活用しながら格安で )担ってもらおうじゃないかという「 新しい公共 」のコンセプトが打ち出され、そのための補助金メニューも国によって用意されました。   これはエステサロンが「 会社の経営が厳しいので、会費を納めていただいている客様には恐縮ですが、手が届く身体前面の脱毛は お客さまご自身でやってください 」と求めてくることに似ています。「 その前に経費の削減、不要不急な事業の廃止などにはしっかり取り組みましたか?」と言いたいところですが、これまで行政が担ってきた重要な公共サービス分野の質・量が低下するのであれば、それを支える市民活動の支援に労力を割いても良い、と納得もします。
●確保された予算は年度内に使ってしまわなくてはなりません。かくして、新しい公共の名の下に市民団体の活動が支援されるとき、その活動内容は、切実に必要とされている これまであった公共サービス分野を替わって担うようなものではなく( そういう活動は必ずしも楽しく気軽ではなく しばしば大変です )、チャリティコンサートや講演会開催、イラストや写真の公募審査イベント、などの、「 これまでなかった新しい分野の、まあやったほうが良いこと 」であったりします。気軽で楽しくないと参加者が集まらないという事情もあるようです。
●財源が限られるとき、新しくまあやったほうが良い公共サービスの分野を増やすと、それぞれに回す財源は手薄になります。ぜひ、今後必要となり切実な市民活動分野の、選択と集中、評価検証をお願いしたいものです。


■ 事例:毎年乗客が減って経営収支が悪化している市営バスの乗客を増やすために、「親子 10組を募って日帰りバス小旅行を行う 」 イベントなどが開催されたりします。「 こうした活動が、いつか、バス乗客数の増加につながるきっかけとなることを願っています 」 という担当者のコメントが地元新聞記事で紹介されたりします。微笑ましくて楽しい活動です。毎年の活動によって乗客が実際に増えたかどうかは余り深刻に気にされることが無いようです。
現実には、昭和50年代に郊外に造成された住宅団地の住民が高齢化し、近くにはショッピングセンターも病院も無いのに、バス路線の廃止が検討されている、などの深刻な状況が存在しています。  
ところでそうした企画の立案やポスターのデザインや印刷、プロジェクトの報告書作成などの事務は行政マンが自分で行うわけでなく、行政から民間コンサルタントやNPOに外注されます。行政の財政は深刻で、効果が無い対策の外注費・中間コストに経費を費やす余裕などないはずです。
筆者なら、乗客数を増やすためにこんな活動を提案します。
例えば「 整理券くじ 」。当たりの整理券を手にした乗客には下車時に引き換え券を渡し、バス会社に持参すると現金5万円がもらえる、というものです。沿線住民が多いのにバス利用者が少ない路線を選んで「 今月の当たり整理券は○○線で2本出ます 」などとアナウンスすることもできます。実際に乗客を増やす「実効性」が対策の良否判断の基本です。「 射幸心を煽るそんな施策の企画で国の補助金を取ってくるなんて前例がないし無理だ 」と尻込みして、全国で開催されて会計検査院も支出を認めてくれると分かっている前例だらけの「 バス乗客増加機運を高めるシンポジウムの開催企画 」等に流れるのはラクな道です。前例が無い道を切り開くのは大変だろう、とは思いますけれども。
乗客増に確実に効果があるのは運賃を無料または無料に近い捨て値にすることですが、それは採算を改善してバス路線を存続させることにつながらない見せ掛けの改善なので提案できません。ある会議で、市役所職員さんが定期券の補助を受けてバス通勤にするとその支出によって収支は却って悪化するので、やはり民間企業の通勤者にバスを利用して欲しい、という意見が出ました。通勤者に的を絞るのは正解だと思います。50人が年間250日通勤で往復すれば( 50人 ×往復2 ×250日 ≒ 25000 ) 年間のべ25000人乗客増ですので。定期券補助云々は、市役所職員さんには自腹で定期券を購入していただくことで解決できないかな、と思います。) 
[ 別のバス利用者増具体方策はこちら→ ]


■同様に観光振興であれば、地元旅館業者に宿泊者数の推移、タクシー運転手に観光乗客数の増減、などを聞いて、それらの指標が増えていれば自らの振興策に自信を持ってもよいし、減少していれば別の対策に組み替えるなどの対応を取ります。産業振興であれば、行政の側面支援によって域内の民間事業所の業績が向上して納税額が増え・空き店舗が減り・地価が上昇し・失業者が減少すれば、施策に自信を持ってよいでしょう。もちろん、全国や県内の景気がマイナス2%減退しているときに市内の指標数値が横ばいであれば、それは2%伸ばしたのと同じ( いわゆる名目成長率でない実質成長率 )で立派な数字だと受け止めるとか、全国県内が2%成長する間に市内の成長が1%成長であればそれは1%マイナスと同じだと捉えるなどの、外部要因・ノイズの除去は必要です。外部要因で数字が勝手に伸びたことを自らの施策の手柄にし、逆に数字が悪化したときは外部要因のせいにする、というわけにはいきません。ノイズを除去したあとの数字で判断します。やって、評価検証して、効果が認められなければ、別の方法に組みなおす、ということです。いま流行の( 国が用意したメニューに乗るので全国の市町村の施策には流行があります )まちあるき観光であれば、平成24年度の松江市同予算1億4千250万円やわがまち自慢発掘プロジェクト事業予算350万円( 参考→ )などを用いて、平成26年度には周辺宿泊施設の宿泊者数を○%増加させ波及効果は3億円を超える、などの「 目標値 」が知りたいところ。  募金を集める目的のチャリテイイベント開催費に180万円の助成を受けて、会場で集まった募金が25万円ならば、中間コストが高すぎます。180万円をそのまま現地へ送った方が良い。「何がやりたいねん」という話です。 何であれ施策は予算(経費)の2倍程度の実効効果が欲しいところです。
なんといっても、財政が超!厳しい状況なのですから。

全国の多くの市民団体は、マップを作成して無料で配布し、またはシンポジウムなどイベントを開催する、という2つが基幹業務になっています。 毎年様々な団体が新しく観光パンフレットを印刷しては、事業年度終了までに地元のコンビニエンスストアのラックに分厚く詰め込んでいます( 当社の取っ手金具パンフレットは社員の手で数千部を投函して回りました。印刷費まで出資してくれた会社の理解がありがたくてもったいなくて、感謝の気持ちから自然と戸別配達することになったのです。自由に遣える20万円を得るために必要な売り上げは150万円ほどであったりしますし。何月何日の事業完了日までに全部配ったことにしなくては、という締め切りはなかったのですが ) 。観光パンフレット完成のニュースを地元新聞に取材依頼して掲載してもらう事例を耳目にします。外貨を稼ぐ「産業としての観光」を目指すなら、域内で活動するより、対外アピールしてはどうかと感じます。神戸や芦屋の高級住宅街で投函して回ってはどうだろう、などと考えるのです。すでに来てくれた人が手にするパンフレットは各種団体が既に似たようなものを何種類も出しているのだから、まだ来てない人を誘うことに努力したい施策が成功した根拠に挙げられやすい「 機運の高まり 」は多くの場地域経済にとって「 カロリーがゼロ 」であるように見えます。「 コンニャクは歯ごたえが楽しいし 繊維が豊富で身体に良いんだよ 」言われるとそれはそうだろうと同意します。 けれども慢性病が徐々に悪化して体力が15年間ずっと低下し続けている人にコンニャク中心の献立を与えるのもどうかと感じるのです。
■「 成果主義偏重は弊害が多い 」「 数字に現れない大切なものも多い 」などの声を耳にすることがあります。
それはその通りです。しかし「 これまで何事も成果主義で実施されてきた。たまに成果に偏らない施策実施手法を望む声があっても許されなかった 」という状況ではありません。全く逆です。 あれもこれも実効成果( 目標値や達成年度の設定 ) を気にかけない、ムードに偏った施策が多い。むしろ成果目標を設定して達成のために死に物狂いで努力する施策のほうが、見かけることが難しいと思えるのです。
そういう弱い立場の "少数派" が、「 もうすこし施策の実効成果を気にかけたら?」 と発言することに対して「 いいやそんなことは今後も一切許さない 」と反応する市民は少ないだろう、と想像します。

[ 金利によってリアルタイムで金額が増えていく国と地方の借金カウンタ ]
※各国の借金はGDPの半分から6割程度のところ、日本はGDPの2倍以上

「できることからはじめよう」と考えたら、
どうでもいい活動に税金を出してもらうのを止めましょう、というのが近道です。

■小説「28光年の希望」の一節を引用します。

料理人は料理と結婚するようなものだ、とジェロームはかつて私に打ち明けた。
 一日中ジャガイモの皮を剥き、スープの灰汁を何時間も掬いつづける青春時代を過ごして、ようやく調理することを
 許されたとしても、それからさらに何年もの修行と苦難と忍耐の日々が待ち受けている。出世すればするほど、大き
 な責任が伸しかかってくるという仕組みだ。家族との生活よりも、料理と格闘している時間の方が圧倒的に長いので
 ある。なのに出来上がった料理は、芸術家が描いた作品のように、後世まで残るものではない。
 料理とは、その夜、客の胃袋の中へと消え去る、儚い運命を持った作品である。家庭を顧みたくとも、厨房で生きて
 いる限り、普通のフランス人的な生き方はできなかった。 〜中略〜 
 しかし私は、料理評論家の立場から、彼らの肩を持つことができる。彼らが家庭を犠牲にしてまでも、料理に命を燃
 やしつづけるその情熱があったからこそ、フランス料理は世界一という評価、その歴史ある誇りを守ることができて
 いるのだ。私は稀に「美味しい料理とは、すばらしい家庭があってこそのもの」と主張する愛妻家のシェフに出会う。
 彼らは子供を学校に送ってから出勤し、夜は営業時間中に副シェフに委ねて帰ってしまう。またチーズやワインを仕
 入れるために休暇を返上するということもない。命懸けで探し出すこともない有り合わせの材料を使い、愛だけは人
 一倍多めに使っております、などと屈託のない笑みを浮かべてみせるだけの呑気な輩で、彼らが生み出す料理ほ
 ど、主張のない、じれったい、緩急のない、存在感の薄い料理を私は他に知らない。幸福の味というものがあるなら
 ば、それは多少の不幸と刻苦勉励を知っているものだけが生み出すことができるものであろう。
 この持論は時として猛烈な批判を被ることもある。しかし、これは私の長い経験から述べている真実で、目指すのが
 家庭料理の達人なら別だが、少なくとも、世界に誇るフランス料理の三ツ星を狙っているような料理人には、若き日
 のピカソ同様、旺盛な創作力と、犠牲を覚悟する力、奉仕の精神、そして永遠に恋する力が必要なのである

 料理に関する小説で印象に残っているのは時代小説「一人群せず」でしょうか。小説では華麗な比喩や擬人法や
 倒置法や人称表現のブレなさなど、文章のテクニックに興味がわくことが多い筆者ですが、無駄口を叩かずシンプ
 ルな短い文章で淡々と語る文章と、もと剣の達人の祖父が孫に料理を教える風景の描写が、なぜか心を揺さぶっ
 て。表紙の円山応挙も合っている。読後にヤスキハガネ(地名安来はヤスギ)の和包丁を買いに走りました。
 ま、金属製品はメイドインジャパン、できれば地元近隣産を購入します。2年連続貿易赤字に転落した日本。国内
 を回るマネーが減っていきます。オートバイをカルネで国外に出した経験がある筆者は、持ち出し相手国の 
 "持ち込んだら再び持って帰れよ。モノをわが国内で売ってマネーを国外へ持ち出すなよ"
 という制度主旨を叩き込まれて、外貨が減ることを恐れる本能的な感覚が強くあります。独ゾーリンゲンなどは敬
 して遠ざける。身近にできることから、です。